教育

【小学校】道徳の授業に違和感のあった話

2018年 道徳の教科化が開始された

子供の通う小学校(地元の公立)で授業参観があったので行ってきました。
これまでは「教科外としての活動」であった道徳が
2018年から教科化され、検定済みの教科書を使用し、児童も成績の評価されるようになりました。

その時の道徳の授業にとても違和感があったので、記録しておこうと思います。

道徳の授業

その時の道徳の授業のテーマと進め方は以下の通りでした。

【授業で取り扱われた内容】

  1. 兄弟二人で電車に乗る(おそらく小学校低学年・未就学児という設定)
  2. 弟がお菓子を電車内に故意ではないがぶちまけてしまう
  3. 兄弟で電車内のお菓子を拾い、下車する

先生が黒板に絵や教科書などを使って上記の場面を説明した後、

・場面ごとに、児童の意見を発表する

という授業形態を取りました。

主にについて、何人かの児童が発言しました。それぞれ2~3人として

在籍児童35人中6人ほどが発言する形でした。先生はその数人の意見を聞いた後、

恐らく指導要領に書かれている「参考となる解答例」を読み上げていました。

最後は「電車がきれいになったので、すっきりしましたね。」と先生が締めくくり、道徳の授業は終了となりました。

違和感の原因は?

この道徳の授業中も、終わってからも、違和感を感じずにはいられませんでした。

  • 教科書そのものなのか
  • その日のテーマなのか
  • 先生の授業の進め方なのか
  • 児童のやる気の問題なのか
  • 授業参観という普段とは異なる環境だったからなのか
  • これら全てなのか

私自身も理由ははっきりとはわからないのですが、この道徳の授業に違和感があったのは事実です。

発言した児童も全体の6分の1程度だし、意見を発表するだけで、グループでの意見交換等もありませんでした。発表する子もおそらく普段から成績優秀とされる子達に偏っていました。

我が子は上の空で空想をしているようでした。(これは我が子の問題ですね。)

我が家だったとしたら、そもそも弟が電車でお菓子をぶちまけてしまうという事態は大変なことです。

弟はパニックになり発狂すると思います(笑)

電車の中を汚してしまったことより、お菓子を失ったことにショックを受けるはずで、冷静にお掃除してにっこり電車を降りていくとも考えられません。

このような意見が出ても良いと思ったのですが、出ませんでした。

みな、冷静に

「きれいに掃除する」「迷惑をかけてはいけない」等の発言でした。

まだ小学校に入って数年ですから、

それこそ子供らしいと思えるような様々な意見が出てくるものじゃないのかと

予想していたのですが、違ったようです。

先生の思う結論に向かって授業が進む予定調和的な授業に感じてしまったのです。

道徳が教科化された目的は?

いじめや自殺が社会問題となり、子どもたちに命を大切にする感覚や倫理観が足りないのではないかという世論があってのことでしょう。
また、教科ではないので、先生や学校によって道徳の授業の取り組み方に差があるという問題もありました。そのため、教科化し週1回、年35時間の授業を行い、教科書も作ることとなりました。

 

道徳教育においては,人間尊重の精神と生命に対する 畏敬の念を前提に,人が互いに尊重し協働して社会を形作っていく上で共通に求めら れるルールやマナーを学び,規範意識などを育むとともに,人としてよりよく生きる 上で大切なものとは何か,自分はどのように生きるべきかなどについて,時には悩み, 葛藤しつつ,考えを深め,自らの生き方を育んでいくことが求められる。 さらに,今後グローバル化が進展する中で,様々な文化や価値観を背景とする人々 と相互に尊重し合いながら生きることや,科学技術の発展や社会・経済の変化の中で, 人間の幸福と社会の発展の調和的な実現を図ることが一層重要な課題となる。こうし た課題に対応していくためには,社会を構成する主体である一人一人が,高い倫理観 をもち,人としての生き方や社会の在り方について,時に対立がある場合を含めて, 多様な価値観の存在を認識しつつ,自ら感じ,考え,他者と対話し協働しながら,よ りよい方向を目指す資質・能力を備えることがこれまで以上に重要であり,こうした 資質・能力の育成に向け,道徳教育は大きな役割を果たす必要がある。

【小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編 平成27年7月 文部科学省】より抜粋

義務教育はこれでいいのだろうか?

道徳が教科化された目的は、いじめや自殺が背景としてあり、

授業の中でルールやマナー・規範意識を学び、自分を大切にし、またグローバル化が進展する中で様々な文化や価値観を受け入れ、相互に尊重し合うということなのでしょう。

それは私もそのように望みます。ただ、ルールやマナーを意識し過ぎた「教科」としての道徳が行き過ぎてしまうと、先生の思う結論に向かった予定調和的な授業になってしまうように思います。自分の自由な意見をもっと発言してもいいと思うし、

様々な文化や価値観を受け入れにくくしてしまっては、本来の目的とは違った方向へ行ってしまうと考えています。

私が義務教育に疑問を少なからず持つようになって、堀江氏の本を読んでみました。

「教育は洗脳」という過激な言葉で書かれていますが、間違いではないのではないかと思います。


すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)


すべての教育は「洗脳」である~21世紀の脱・学校論~ (光文社新書Kindle版)

 

本の中で堀江氏はこう言っています。
・教科書を学校が独自に選べない。国の検定を通った教科書しか使えない。その内容も戦前の富国強兵のための教育内容と変わらない。
・子供一人一人で得意とする分野が違うのに、学校教育ではオールBの平凡な扱いやすい子を育てる。それは軍国主義の名残。
・かつてのエリートとされた弁護士、医者、公務員はそのうちAIに代替される。
・没頭できることが大事。

変化する社会の中で、子供を育てていくには親や先生の価値観というものが毒にもなってしまうと思いました。

道徳の授業で感じた違和感、外国語教育への取り組みに対して思うことは、今後もまた書き留めておきたいと思います。

ABOUT ME
ミライ
現在はフリーで教育サービスの支援をしています。 大学卒業後、日系企業に勤務。 事業部門から経営戦略・財務部門を経て退職、二人の子供の母親です。 学びについて情報発信しています。 オンライン英会話で日々スピーキング訓練中!  TOEIC900点目標 (2019年4月 810点) 中小企業診断士登録済み #カランメソッド #オンライン英会話